奥田シェフと在来作物との出会い
では、そもそも奥田シェフと在来作物との出会いはなんだったのでしょう?早速本人に尋ねてみました。
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―在来作物との出会いは?
もともと幻のカブがあるというのは知ってて、山形大学農学部の江頭先生と話しているときに、その話をしてみたんですよ。そしたら「昔、宝谷カブというのがあってね、タラ汁にしたらおいしかったみたいですよ」って言われて、そのときに"すんごい食べてみたい!"って思ったんですよ。"だけどもう食べれないんだ"ということも知って、悲しかったんです。
そしたらその夜、たまたま知り合いが宝谷カブの粕漬けを持ってきたんです。たまたま。
「あるじゃん(笑)」。
うれしくてうれしくて、もう死んだ人が生き返ったような気持ちですよ。そのときの感動がきっかけです。
―ちょっと例えは怖いですけど、感動は伝わります
そこから私と江頭助教授は勝副寺ニンジンを探したんです。
探し訪ねると、みんなが「あるよ」「どっかで作ってるよ」って言うんだけど、実際はどこにも無かった。タッチの差で消滅してしまった。去年までは植えてたのに、今年植えなかったっていう人がいっぱいいたんです。
しかも"種"ですが、みんなが「あるある。どっかの人が植えてるから」っていうけど、だれも種を持ってなかった。
そのときに「勝副寺ニンジン食べたかった。料理したかった」って思い、そして二度とこんな思いはしたくないと思ったんです。
それを契機に江頭助教授との二人の"在来野菜を巡る旅"は始まるわけです。庄内中を回っていろんなものを探し始めました。「今動かないと、無くなっちゃう」と。
―作ってる方も高齢ですよね
そうなんです。利益になるものでもないので、それだけでも止めたくなりますし。
それでちょうどその時、私のところに「庄内小僧」というコミュニティ誌から連載の依頼が来たんです。それでその内容をわたしと江頭教授の"在来野菜を巡る旅"にしてくれとお願いして、連載が始まりました。
そこで、在来野菜のいろんな料理の仕方を紹介しました。そのときに外内島キュウリを取り上げたときに、一般的なキュウリと同じ調理法をしてもダメだと気付いたんですよ。
―外内島キュウリはスーパーで売ってるキュウリと同じ調理法じゃダメだと?
一般的なキュウリと違う味があって、従来の枠に当てはめてもおいしくなれない。それまではエスコフェなどの料理の知識から始まる料理をしていましたが、素材から考える料理に変えたんです。
*エスコフェ
オーギュスト・エスコフェ フランス料理のバイブルともいえる「ル・ギード・キュリネール」(1903年)を書いた料理人。レストランの運営者でもあり、フランス料理全般の近代化に貢献した。
だって、フランス料理やイタリア料理はフランスやイタリアで生まれたものでしょ?フランスとイタリアの野菜の味の違いによって変わった料理ですよね。なら、日本で手に入る野菜はそっから発想していかないといけないって気付いたんです。
そこで自分の料理法が出てきたんです。"日本で手に入る野菜から発想する"ということに気付き、自分の料理の魂の置き所が変わったから。
それまでは「俺はアメリケーヌソースを作らせたら誰よりも一番だぜ」なんて思ってたんですが、そういう考えから変わったんです。
*アメリケーヌ・ソース
エビの殻と香味野菜をいためて、魚のだし汁をいれてこし、エビみそ、生クリームを加えたもの
- 素材を生かそう。
- 生産者のことがもっと見えるような料理をしよう
と考えるようになりました。
―それはいつの出来事ですか?
2001年かな。
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―そのときすでにアル・ケッチァーノはありましたよね?
2000年開店ですから、ありましたね。
―最初の1年間は普通のレストランだったということですか?
普通のレストランですよ。地元のマッシュルームとか、地元のものは使ってましたけど。地元で取れたというだけで普通の野菜です。あと地元の普通の肉。
そこから1年後に江頭さんと在来野菜と出会って、世界に一つだけの野菜を手に入れていくんですよ。
―江頭さんと出会ってよかったですね
そこで料理法が変わったことによって、自分の味覚も変わったんです。分析できるようになったんです。だから在来野菜があるから今の料理があるんです。
で、今はいろんな地方に行って料理をしてますが、そこで出会った在来野菜の生かし方が分かるようになったんですよ。
―日本各地あちこちに呼ばれてますよね?
いろいろ在来野菜の料理を作り来て下さいと呼ばれますが、行ったその場で料理しちゃう。今まで、魚沼、高知、熊本、沖縄、岐阜、千葉、岩手、長岡で料理をやってます。
―各地に在来野菜ってあるんですね
あります。だけど、どこでも存続していくことが難しい状況になってきていますね。
ちょっと前まで各家庭に"いろり"があったから、大根などの煮る野菜はなんとか残ったんです。だけど今はアパートなんかでいろりがないでしょう。だからようやく残った大根ですら危ない状態です。
在来野菜を生かす食べ方を"今"作らないと、世の中に残る必然性が無くなってしまいます。
必然性・必要性がないといくら"貴重だ貴重だ"と言っても残っていかない。だから今新しい食べ方を開発してるんです。
ん?いや、開発するんじゃなくて、料理の思考法、在来野菜を使った料理の考え方をいろんな地域で教えてるんです。私がいなくなったらその料理ができないというのでは、ダメだからです。

